曹洞宗 魚籃山 常現寺 青森県八戸市
 『月刊ふぁみりぃ』 2018年5月19日
 高木美帆選手の「考える」を考える パートV
   =テスト前か、テスト後の勉強か?=
  
和尚さんのさわやか説法290
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延
 今月号の「さわやか説法」は、またまた女子スピードスケーター高木美帆選手の「考える」を考えてみたい。
 平昌オリンピックの高木選手の活躍は、もう皆さん!!御周知の通りである。
 私は、昨年暮れの11月号、12月号で同選手のスケートに対する、ひた向きな心や生き方である「考える」を取り上げて、私自身の坐禅修行の体験や、その教えと対比して考察してみた。

 NHK「目撃!!にっぽん」『考える、高木美帆〜オリンピックへ密着2900日〜』の特集番組は、私にとって実に衝撃的だった。
―それは―
 高木選手が自分のスピードスケートに対して、ただ単に記録や練習のあり方を「考える」ということではなくして、「自己」そのものの探求であり、そこでは、彼女の知力、体力、技力、能力、そして頭脳をめぐらす脳力から、統合的に「自己」という「スケート」に対しての「考える」姿に密着していたからだった。
 つまり、徹底的にスケーターとしての「自己分析」「自己検証」「自己点検」そして「自己開発」「自己探究」のあり方を如実に示していたのである。
 まさにトップアスリートの「考える」ことへの問題提起だった。

―ひるがえって―
 平昌五輪第四日目!!2月12日。スピードスケート女子1500mの日。TVの前で誰もが固唾を飲んで見守っていた。スタートからゴールまでの1500m間、全国民が声援を送った。
 ゴールの瞬間!!
 「ウォー」という声と「惜しい!!」という心とは反対に「やったぁー」という心の方が大きかったに違いない。
 敵友オランダのイレイン・ブスト選手とはわずか0秒20及ばなかったが、堂々の1分54秒35の銀メダルだ。
 私は「0.2秒差って、一体どれぐらい?」
 「1mだろうか?」
 「もう、一蹴りが及ばなかったのか?」
と思った。しかしそんなことより高木選手が日の丸を両肩に背負って観衆に応えている姿を見ては涙が止まらなかった。
―それは―
 喜びや嬉しさばかりではなく、高木選手の「考える」が実証された「その瞬間」を目の当たりに見てとったからであった。
 「よかったぁー」
 私は安堵した。「さわやか説法」で書いたことは確かなことだったと、私は「ホッ」としたのである。
 翌々日の14日。
 1000mでは1分13秒58の銅メダル。
 そして21日のチームパシュート女子決勝では、宿敵オランダを破っての金メダルを獲得した。
―まさに―
 金銀銅の3個のメダル獲得の快挙は、オールラウンダー高木美帆選手の面目躍如たるものであり、その強さと彼女の「考える」との問題提起に対しての結実であったのだ。
―そこで―
 今回の「考える」第三弾は、恐れ多くも私の高校時代の勉強法を引き合いに出して、論考してみたいのである。
世界の高木選手に対して、大変申し訳なく傲慢無礼であることは重々承知の上ではあるが、お許しをいただきたい。
―それは―
 「予習か復習か」であり、「テスト前の勉強か、テスト後の勉強か」である。
 高校時代、私は「復習より、予習をせよ!!」と教えられた。
 果たして、この両者は、どちらが大切であろうか。
 この事を50年が経って今頃やっと気がついたのである。
 それは、高木選手の「考える」から考えさせられたからである。
 もちろん!!予習も復習もどちらも大切だ。それは科目によって違うかもしれないし、どちらが効果があるかも分からない。
 でも、高木選手の「考える」から導き出されたものは「復習」という「自己検証法」「自己点検法」の効果であった。
 なぜならば、予習という「練習」は至極当然のことだからだ。

―もっと―
分かりやすい事例をあげると「テスト前か、テスト後か」の勉強である。
 そりゃぁ!!テスト前は、一夜漬けであろうが、お茶漬けであろうが、それなりに私も勉強しましたよ!!
―でも―
 テストが終われば、「あー。終わった!!終わった!!」って叫んでは遊び呆けていた。
 テスト後、渡された答案用紙が何点であろうが、そんなことはおかまいなしだ。
 特に赤点なんぞは、見向きもしない。
 机の奥底かゴミ箱行きだった。
―ところが―
 高木選手の「考える」から私は、50年前の「この光景」が突然フラッシュバックしてきたのであった。
 高木選手は、レース後、自分のスケートを検証し、一つ一つを確かめ「考える」のだ。
「そうか!!テスト後にどこが間違い、なぜ不正解であったか、自分で更に確かめる自己検証を俺は一回もやったことがなかった」・・・。
トッホッホッホ。

 要するに、テスト後に如何に勉強し、如何に検証し、如何に是正していくかが、次へのステップであり、次へのテストや本番受験への「自己開発」であり、「自己克服」だったのだ。
 それを私は怠っての「自己怠惰」の中にいた。

 そのことに、私は50年経って「やっとこの年になって、気づかされたのだ」
 「嗚呼・・・」ため息が出る。
 「早く気づいてれば・・・」
 「あの時気づいていたら・・・」「もっと成績が良かったかも?」と思っても、もはや、遅いのである。・・・トッホッホッホ・・・。

 お釈迦様は『法句経(ほっくきょう)』でこう説かれている。

 おのれ
 自らを誡(いまし)めよ
 おのれ
 自らを検(あらた)めよ
 比丘よ
 かくおのれを護(まも)り
 思い深いものは
 安楽に住せん


  (法句経三七九)

―まさに―
 高木美帆選手の「考える」スケート人生そのものの教えではないか!!
 高木選手は自己を誡め、検証し、そして自己を護持し続けた。
 その思いが深きなるが故に、氷上リンクの最高位たる安楽に住したのであった。

 今月号の「さわやか説法」は、高木選手の「考える」を
 私ごときの「テスト前か テスト後か」の勉強法から、はたまた、氷上ならぬ「天上」のお釈迦様まで登場させて論考してみた。
 それも、スケートリンクならぬお釈迦様の教えと高木選手の「考える」をも無理やり「リンク」させてである。
 怖れを知らぬ高山元延!!
 愚禿なる高山和尚!!

 お釈迦様の逆鱗に触れそうである。
 「お許し下され」
 「お釈迦様!!」
 「お許し下され!!」
 「高木美帆選手!!」
                                                                 合掌
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