曹洞宗 魚籃山 常現寺 青森県八戸市
 『月刊ふぁみりぃ』 2016年11月19日
  蘭渓道隆禅師の鋭き眼光!!
  
和尚さんのさわやか説法276
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延
「これ 高山さんに上げます。」
「えっ?これ何?」
 出されたのは、クリアファイルだった。
―しかし―
 クリアファイルといっても、単なるファイルではなかった。
 その表面に描かれていたのは金色(こんじき)に輝く仏様のお顔だったのだ。
 私は手に取りながら裏表を何度も見ながら
「一体?どこでこれを手に入れたのですか?」
「へっへぇー。これはね、上野の国立博物館でね。『平安の秘仏』という特別展をやっていて、そこのお土産売場にあったの。」
 私は、もらったその仏像ファイルに思わず手を合わせていた。
 その特別展とは、滋賀県は甲賀市にある天台宗の古刹、櫟野寺(らくやじ)の秘仏中の秘仏である国の重要文化財・十一面観音菩薩坐像が平安時代以来初めて門外において公開されてのことだ。

「すごいなあー。よく行ってこられましたねェー」
 私は、またそのファイルを撫でながら、
「今度、私も東京に行く機会があったら、是非とも上野の博物館に行ってみたいですね」と、うらやまし気に、内心は「いつになることやら・・・・・・」と思いながらも、そう言うしかなかった。

―しかし―
 案外、その日は早かった。東京である研修会が開かれ出席したのだが、午前中で終わってしまい、午後がぽっかり空いたのである。
「こりゃあー。御仏様のおはからいに違いない」と勝手に思い込み上野は東京国立博物館に向かった。
 目的は勿論、『平安の秘仏展』だ。上野駅から「上野公園」を通り抜けたところに博物館がある。
 公園内は、秋の陽差しを浴び、多くの人々が散策を楽しんでいる。
―その雑踏の中に―
 とある看板が目に入った。
 それは「平安の秘仏展」の隣りに「特別展 禅−心をかたちに−」と書かれ、臨済宗の中興の祖「白隠禅師」の描かれた「達磨図」だったのだ。
「こりゃあー。」
私は言葉を飲み込み、そこで立ち止まり見入った。
「東京ってとこはスゴイもんだ」
「国立博物館ってのはスゴイもんだ」
「平安の秘仏もあれば、禅の世界もやっている」
−そう−
 本館では「平安時代の秘仏」を、隣りの「平成館」という博物館では「鎌倉、江戸期の禅」の特別展なのだ。
 私は迷ってしまった。
「秘仏」にするか「禅」にするか?
 結果的に私は「臨済禅1150年・白隠禅師250年遠諱記念 禅−心をかたちに−」のチケット売場に並んでいた。
「俺は、禅宗の和尚だ。平安より鎌倉だよなぁ」
「秘仏より禅の世界だよなぁ」と、一人で自分の心を納得させていた。
 入ると、圧倒された。そこには、臨済(りんざい)宗、黄檗(おうばく)宗の各本山の名宝、珍宝、あるいは祖仰方の墨跡、仏画はもとより、高僧の肖像、工芸等々の「禅の至宝」が、これほどまでにというぐらいに陳列されたいた。
 まさに、圧巻!!圧倒!!胸が高まっての圧迫だ。
 白隠禅師の数々の「達磨図」の前では、一人唸り、室町期の、かの有名な雪舟作の国宝「慧可断臂(えかだんぴ)図」にては、一人腕を組み、あるいは一休禅師の画筆の前では一人嘆息していた。そして、その場を動くことができなかった。
 それでも、他の入場者に押され、いつまでもそこに立ち止まることは許されない。
 後髪を引かれる思いで、(坊主頭ですから後髪は無いですが・・・)立ち去ったが、今度は、ある祖師像の前で、動くことが出来なかった。
―それは―
 鎌倉五山第一位「建長寺」の御開山「蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)禅師(1213〜1278)」の肖像彫刻の前だった。
 蘭渓道隆とは、中国四川省の出自で鎌倉期の寛元4年(1246)に渡来し、建長5年(1253)北条時頼が創建した「建長寺」の開山に迎えられた傑僧である。
 その没後、開山堂奥に秘蔵され門外不出とされる御尊像が、これまた、平成の現代において初めて世に出て一般公開されたのである。
「恐るべし!!国立博物館!!」
(八戸では、絶対無理でありまする・・・・・・)
 でも私が、最も釘付けになったのは、その尊像もさることながら「音声ガイド」で聞いた蘭渓道隆禅師の教えの言葉だった。

「よき馬とは・・・」と静かな口調で語り始めた。
「そうか!!良馬(りょうば)のことだな」私は心の中でつぶやいた。
「良き馬とはムチの影を見て走り出すと言われているようだが・・・」
「さにあらず!!」
「その気配を感じただけで走り出す馬こそ、本当の良き馬である」
 私は音声ガイドのヘッドホーンを耳に押し当てた。
「それと同じように、禅僧たるものは、師の訓示を受けてから動くなんぞは論外である」
「その気配を察し自らが動く」
「師の心を覚って動くのじゃ」
 耳の奥からの声は心臓にまで鳴り響いた。そして、ドキン、ドキンとした鼓動が今度は耳に逆流してきた。
 この言葉は建長寺「法語規則」の冒頭の一節であり、蘭渓道隆禅師の皮肉骨髄(ひにくこつずい)たる厳しき教えであった。

 真(しん)の禅僧、修行者たるものは、師の教えや訓示というムチを待っていての修行をしていては、良き禅僧とはいえない。
 ましてや打たれてから走り出すとは、何をか況んやというのである。
  『鞭影(べんえい)を見て後にいくは、即ち良馬に非ず。訓示を待ちて志を発するは、実(まこと)に好僧に非ず』とのことだ。
 私は、この言葉を聞きながら、蘭渓道隆禅師の御尊像を仰ぎ見るばかりだった。
 その尊像の厳しき澄みきった眼は、私の目に鋭く突き刺さった。
 それは私の心の奥底まで届き、激しくえぐっていた。
「俺は、良馬じゃなかったなぁー」
「いや今も、良馬とは言えない」
「根っからの駄馬だ」と、うなだれていた。
 若き修行時代、師匠の訓誡を受けても、その心を知らず、勝手に走り出していた。
 ましてやムチを振っていることも分からず、ムチの影なんぞ分かるはずもなかった。
 あげくの果てには、こんなムチではないかと、勝手に推測して走り出したのはいいが、戻っても来なかった。トホホ・・・。(涙)
 まさに不肖の弟子だったなあと懺悔、反省するばかりである。
―故に―
 今回、この国立博物館での「禅の特別展」において、蘭渓道隆禅師と出会えたことは、平成の現代にいる未熟な修行僧である私にとっては、まことに有り難きものであった。
―それは―
「我、良馬に非ず」、「我は駄馬なり」ということを気づかせてくれたからである。
 まさしく、蘭渓道隆禅師御尊像の眼光は、亡き師匠の鋭さに似ていた。
                                                                 合掌
 
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