曹洞宗 魚籃山 常現寺 青森県八戸市
 『月刊ふぁみりぃ』 2016年1月1日
  新春長文特集号 
 ―干支 申年に因んで―「猿もから落ちる」
  
和尚さんのさわやか説法269
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延
 新年 明けましておめでとうございます。
 読者の皆様にとりまして、この申年が、良き年でありますよう心より祈念しております。
―さて―
 本年の干支は申年ということで、「猿」に因んだ有名な格言と言えば、そう!!
 「猿も木から落ちる」である。
 この意味するところは、「その道に長じた者、達人であっても、時には失敗をすることがある」という例えだ。
 そこで、私はこの格言を何回か読み返しているうちに、こんなふうにしたら面白いのではと思ってしまった。
―それは―
 「猿もから落ちる」である。
 猿が木から落ちる瞬間というのは、普段は何なくこなせるはずなのに、「気」が抜け落ちたからである。
 達人も、その道の名人も、時として「気」が抜ける時があるかもしれない。
 それが、「気から落ちる」ということではないかということだ。
―ということから―
 この格言は、単なる失敗した時の言い訳や弁明に使うのではなく自己の「気」という「気合い」そして「心」への「戒め」としてとらえるべきなのだ。
 それは、「猿も」という「も」の助詞の使い方にある。
 「猿」ではなく「猿」ということは、そこには「私達も」あるいは「達人たる者も」ということが前提としてあることに他ならない。
 つまり、猿ではなく私達こそ、仕事であれ、日々の生活の中であれ、慣れに流されていると「木から落ちる」ことになるのであって、それはまさに「気から落ちる」ということになるのである。
 私はそんながしてならない…。

―てなことで―
 申年に因み、更に「猿」と呼ばれた人物について「さわやか説法」を展開したい。
 「猿」と呼称された人物といえば、そう!!
皆さん既にお気づきのように、かの木下藤吉郎。後の豊臣秀吉のことである。

 私は「水」が好きである。お茶やコーヒー等の飲み物よりも、ともかく「水」だ。
 それも、冷たい水である。
 昨年、こんなことがあった。
 ある葬祭会館で、檀家さんのお葬式に出向いた時だった。
 その日は午前、午後とダブルで同じ会館でのお葬式だ。
 会館に到着すると、女性スタッフが出迎えてくれ、導師控室に案内されると、まもなく飲み物が運ばれてくる。
 各葬祭会館では、市内全寺院の和尚さん方には、何を出すのか、そのマニュアルが作成されているとのこと。
 それに従いお葬式の前後、更に、初七日法要の前後。そして埋葬してお墓から帰って来るとまた運んでくれる。ともかくマニュアル通りに出される。
 当然のことながら、私へのマニュアルには、「水」と記されているようで、コップに水だ。
 その日はダブル葬式なるが故に、なんと十回も「水」がテーブルに置かれることになる。腹がガボガボとなってきた。
―そしたらである―
 担当の女性スタッフが、午後の葬儀の際に水ではなくして違う飲み物を持ってきてくれたのだ。
 お酒ではありませんぞ!!冷たい紅茶でした。
 私は、その心遣いに嬉しくなった。
 そこで思い出したのが、石田三成の幼少時、秀吉との出会いである「三献の茶」という逸話である。
 私は、その物語を担当の女性スタッフに話し始めた。

 秀吉が長浜城を築城したのは天正元年(1573)から四年とされる。
 その時、その城下近郊で鷹狩りをしていた秀吉が、喉の渇きを覚えて、ある寺に立ち寄った。
 早速に縁台に腰を降ろすと一服の茶を所望したのだ。
 「殿様、どうぞお召し上がりくだされ」
出されたのは、大ぶりの茶碗にたっぷりの、しかもぬるめの茶だった。
 鷹狩りで渇ききった喉に秀吉は、一気にそれを飲み干した。
 「うー。実にうまい!!」
 「もう一杯くれんか?」
 「はい!!」
すぐに出された二杯目は、最初よりも少し、小さめの茶碗に、やや熱めの茶であった。
 「うむ!!この寺小姓は?」と何か感ずるものがあった。
 すると、その寺小姓は、言われるまでもなく、すかさず三杯目の茶を呈したのだ。
 それは、小ぶりの茶碗に熱くて濃いお茶だった。
 「その方は、名はなんと申す」
 「はい。佐吉と言います。」
 秀吉は、この佐吉のお茶の出し方に感ずるものがあった。
 最初は喉を潤す為に大きな茶碗に薄くてぬるめのお茶を、渇きが収まると次ぎには、やや熱めを、そして三杯目は味わう為の熱いお茶を献じて、もてなしをしたのである。
 その相手の状況を見定め、それに応じての「気」のあり方に秀吉は、「この寺小姓は?」と感じ入ったとのことである。
 この寺小姓なる佐吉こそ、後の石田三成であった。

 私は、葬祭会館の女性スタッフが、マニュアル通りでなく、気配りし、状況に応じての接し方に感じ入り、「秀吉と三成」の逸話を話したのであった。
 機に応じ、場に応じ、そして時に応じて、
 「気」を落とすことのないことが「おもてなしの心」の肝要たるところだったからである。

 私は、葬儀を終え寺に帰ってから、
 「なんだか?」
 「このシチュエーション?」
 「どこかに同じような?」
と、フト思い起こすことがあった。
―それは―
 秀吉が木ノ下藤吉郎の時代の織田信長との物語だ。
 秀吉が信長に「猿!!」「猿!!」と呼ばれていた「草履取り」の頃のことである。
―やっと、申年に因んだ「猿」の話が出てきました―
 寒い冬、信長が出掛けようと草履を履くと、その草履が妙に暖かい。
 「猿め!!こいつは」(怒)
 「お前は、ワシの草履に腰掛けていたのかぁ」(怒)
信長は藤吉郎を蹴飛ばした。
 「滅相もない。」
 「私は、上様がお出掛けになる時に、足が冷たくないようにと、懐で暖めておりましたぁ」
 「なにぃ!!」
 「懐で暖めていたとな」
 信長は、いきなり藤吉郎の懐を広げると、
―なんと―
 藤吉郎の肌には草履の跡と土が付いていたのだ。
 それを見た信長。
 「で、あるか!!」と…。

 私は、この「信長と藤吉郎の草履取り」と「秀吉と三成の三献の茶」の逸話は、共通性があるとの思いに到った。
 それは、秀吉の「猿時代」に信長が藤吉郎の才覚を見い出したと同じように、秀吉もまた石田三成の「少年佐吉時代」の才覚を見定めたのではないか。ということである。
 きっと秀吉は、若き頃の自分と三成とを重ね合わせていたのではないかと思った。
―それ故に―
 秀吉は三成を重用(ちょうよう)し晩年まで側に置いたのではないかと…。
 また三成にしても秀吉を主君としてばかりではなく、自己の生き方そのものとして生涯を仕えていたのではなかろうか…。
 そのように私は、勝手に思ってしまった。

 今回の「新春さわやか説法」は、申年に因んで「猿」を引き合いに出し秀吉の若年時の「猿」を題材にしてしまった。
 恐れ多くも、織田信長、豊臣秀吉、石田三成という戦国の大武将を登場させてである。
 まことに無礼千万、お許しを乞う次第でありまする。
―でも―
 信長はもとより秀吉にしても三成も然り。
 決して「猿も木から落ちる」の如くにはあらず、達人も時には失敗もするとのことではなくして、常に「木」からも、そして「気」からも落ちない生き方であり、心構えであったのではないか。と考えさせられた。

 本年の申年、読者の皆様におかれましてはどうぞ「気を抜く」ことなく、「気を引きしめて」、そして「気から落ちる」ことのなき良き年でありますること心より祈念しております。
 どうぞ、この一年。また「さわやか説法」をよろしくお願い致します。
 「木から落ちない」ように「気を落さず」頑張ります。
  合掌  
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