曹洞宗 魚籃山 常現寺 青森県八戸市
 『月刊ふぁみりぃ』 2015年12月19日
  年末長文特集号 
 同時二発的TEL事件「ケータイ通話」妄想記
  
和尚さんのさわやか説法268
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延
 本年も残すところ、あと十日。皆様にとっては、どのような一年でありましたでしょうか?
 年の瀬を迎え、この一年を振り返れば、あっという間に過ぎ去り「飛んでいった紙飛行機の如く」
 まさに「365日の紙飛行機」(注)でありまする。

 私にとっての本年365日の今月12月2日、こんな事があった。
 同時多発的に起きたテル事件である。
 その日、私は「全国教誨史連盟」の委員会に出席する為に、東京は中野区にある「矯正会館」に向かった。
 朝9時05分初発の東北新幹線「はやぶさ号」に乗車したのだが、仙台駅に到着した時だった。
 多くの乗客が、どっと乗り込んで来た。私は通路側であり、隣の窓際の席が空いていた。
 そこに、少し派手目の御婦人がドカッと座るとスマホを取り出し、いきなり小声で話し始めたのだ。
 はやぶさ号は、静かに仙台駅を発車。
 御婦人は窓に身を寄せ、小声で喋(しゃべ)っているつもりだろうが、やけに車内に響く。
―その時―
 折しも、アナウンスが流れた。「ケータイ電話は、マナーモードにするか、通話の方はデッキを御利用下さい。」と…。
 私は、それを聞くや意を決して、その御婦人に向かって、ぶっきら棒に、「ちょっと、ケータイは、デッキで話しなさいよ」と怒気を込めて注意した。
 すると、御婦人は、左手で握りこぶしを作り、「ごめんなさい」というようにペコペコとこぶしを上げ下げさせ、まだ喋っている。
 要するに自分の頭はケータイに密着し、左手のこぶしが謝っているのである。
 その動作の見事さに圧倒され私は、それ以上、何も言えず、しかたなく背もたれに肩を押しつけ目を閉じるしかなかった。
 やっと通話が終わると、「どうも」と、先程の通話の声より、小さい声が聞こえた。
―そこで―
 私も一応、その御挨拶に返答しなければならないと思い、こっちも「どうも」と言った瞬間、隣りの御婦人の左胸に光るバッヂが眼に入った。
―なんと―
 それは、議員バッヂだったのだ。
 それも、私の付けているバッヂよりも、一回り、二回りも大きく、しかもぶ厚い。
「えっ?この人は、議員さんなのかぁ〜?」
「どういう議員なんだろうか?」
「国会議員?」
「でも、国会議員には見えねェなぁ〜」
なんていう妄想が頭の中でグルグル回り始めた。
「仙台から乗ったってことは、もしかして仙台市の議員だろうか?」
と思った瞬間。
 ムカムカと腹が立ってきた。
「議員だったら、公共の秩序を守れよ」(怒)
「席に座る前に、デッキで通話してから座ればいいのに」(怒)
と、妄想が収まらなくなってきた。
―しかし―
 それを、今更言うわけにもいかず、モンモンとしていると、また違う妄想が湧き上がってきた。
―それは―
こういう妄想だった。
 隣りの御婦人に向かって、「先生!!すみません、御名刺いただけませんか?」と言い、相手を確かめて、私はこう言うのだ。
「先生!!議員さんでしたら、公共の秩序、マナーを守ってもらいたいものですね」と…。
―でも―
 やっぱり、それは出来なかった。
 私は、静かに目を閉じるしかなかった。
 事を荒立てたくなかったからである。

―てなことで―
 はやぶさ号は、その後、何事も無く東京駅に着いた。
 私は、中野駅に向かう為に、中央線に乗り換える。ホームには待機していた「中央特快」に飛び乗った。
 空いている席を目で追うと、高齢者やケガをした人達への優先席の一つだけだった。
 私は、一瞬、とまどったが、結局そこに座った。
 実は、それが良くなかったのである。優先席は三人掛けで、電車の進行方向の左右にある。
 目の前の三人は、西洋系外国人二人と若者サラリーマンだった。
 中央線は東京駅を出発すると、神田、お茶の水、水道橋、四ツ谷、新宿、そして中野だ。
 お茶の水を過ぎた当たりだった。
 目の前の若者サラリーマンがスマホをいじっていたかと思うと、
―なんと―
 左手を耳に当てるといきなり話し始めたのであった。
 私は、「またかよ!!」と頭の中で舌打ちをした。
 電車の中であるからにして、すぐ終わると思っていたが、それがなかなか止まない。
 また私の頭に妄想が湧き上がってきた。
「この前、山手線でケータイ電話を注意して殺傷事件が起きたよなぁ〜」
「相手は若者だし、逆ギレされたりしたら…」etcと、なんだか躊躇せざるを得なかったのだ。
 私は、車内を見渡した。誰もが無関心だ。
 私も目を伏せ、無関心を装(よそお)うとした。
―その時だった―
 私の妄想中の頭にこんな声が響いた。
「お前は!!新幹線ではおばさんだったから、女性だったから注意したのかぁ!!」(><)
「電車の中では、若者だから、注意しないのかぁ!!」
「それでもお前は、和尚なのかぁ!!」
「それでも教誨師なのか!!」と…。
―その瞬間だった―
「オイ!!車内でケータイなんかするんじゃない!!」(怒)
と、その若者に向かって言い放ってしまっていた。
 私は、私自身で自分の声にビックリしながらも、車内を見回した。
 そしたらである。
 他の乗客達もビックリしたに違いない。声の主である私に一斉に視線が集中した。
 でも、感じた視線に焦点を合わせると、皆なは一様に下を向いてしまったのである。
 若者は、私に一瞬目を向けたが、素知らぬ振りをし、今度は益々声を大きくして喋り始めた。
 私は、視線のやり場に困りながらも、言ってしまった手前、そのまま若者に目を剥(む)き、睨みつけた。
―中央特快は疾走していた―
 若者は、喋りながらスクッと立ち上がって、こちらに歩いてきた。
 私は、ビクッとして身構えた。
―しかし―
 若者は、私の目の前を通り過ぎそのまま降車ドアの前に向かって行く。
 私の妄想の頭の中に「ほっ」としたため息が聞こえた。
 若者は、まだ話しながら、新宿駅で降り、雑踏の中に消えていった。

 新宿から中野駅までの間、私の妄想は、けたたましく錯綜していた。
「はたして、これでよかったのか?」
「相手が若者だから注意しない。相手がおばさんだから注意する。」
「それじゃ、筋が通らない」
「和尚の本分とすればこれでよかったんだ」
「でも、別な言い方もあったのではないか」
「迷惑なのは、ケータイよりも俺の怒鳴り声かも?」
と悶々たる自問自答が続いていた。

 お釈迦様の説かれた『法句経』という経典がある。その一節に(注)
  粗(そあら)ならざる
  義(わけ)をふくめる
  実語(まこと)を語り
  そのことばによりて
  いかなる人をも
  怒らしめざるもの
  われかかる人を
  婆羅門(ばらもん)とよばん

 お釈迦様は、大きなる心の人である。優しすぎるお方だ。
 決して粗雑な言葉、乱暴な言動、行動をしてはならないと教えられる。
 正しきことであっても粗(そあら)なる言葉ではなく、実語(まこと)を語り、真実の心で接しなさいと説かれるのであった。
―だから―
「怒ってもならないし人を怒らしめてもならない」と訓誡される。
 それが婆羅門、即ち「聖者」なのだと…。

―故に―
 私の同時二発的に起った「ケータイ通話事件」は、単に注意をしたり怒ったりしては、いけなかったのだ。
「訳を含める、真心を語る」べきだった。
 私高山和尚は和尚であっても、婆羅門(バラモン)になれるはずもなく、多分に、「バカモン」であることは間違いない。
 それを、お釈迦様は、教えてくれていた。

 今回の「さわやか説法」は、今年一年365日の一コマを紹介して、年の瀬の反省と致します。
 皆様には、来年365日が良き年であり、良き紙飛行機に乗り、上昇気運であることを祈念しております。
  合掌  
(注)「あさが来た」主題歌  歌 AKB48  作詞 秋元 康
(注) 法句経 友松円諦訳 四〇八番
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