曹洞宗 魚籃山 常現寺 青森県八戸市
 『月刊ふぁみりぃ』 2014年2月15日(土)
  「お・も・て・な・し」を道元禅師の教えから考える 
  
和尚さんのさわやか説法251
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延
 今月号の「さわやか説法」は、先月の正月号と同じく、昨年の流行語大賞を禅宗的解釈で、勝手に分析してみたいと思う。
 今回は、2020年の東京オリンピック招致に向けてのプレゼンテーションでの滝川クリステルさんが世界の委員に訴えた「お・も・て・な・し」である。
―あの時―
 彼女は、それをフランス語に訳さず、一言一言を区切り、それも身振り手振りで、日本語で「お・も・て・な・し」「おもてなし」と二度くり返して発音し手を合わせた。
 そのことが、日本中の人々にも伝わり共感を呼び、昨年の流行語ともなったのだ。
 この「おもてなし」は、日頃私達の日常生活でも使われ、よく耳にする言葉ではあるがこの語源の意味、あるいはその本質的な意味なんかは、知らずして使っている感がある。
―ということから―
 それを分析し、かつ私なりの自己解釈で勝手なる禅宗的こじつけ説法を試みたいと思う。
 「おもてなし」は、まず「お」と「もてなし」の二つの言葉が合体した言葉であって、「お」は丁寧語の接頭語であるという。
 次いで、「もてなし」は、動詞の「もてなす」の連用形名詞に変化した言葉であるのだ。
 更に、この「もてなす」は「もて」と「なす」の合体語であり、数式で表現すると「お」+(プラス)「もて」+(プラス)「なす(し)」=(イコール)「おもてなし」ということになる。
 では、「もてなす」の「もて」とは、どういう意味かというと、動詞に付く接頭語だそうで、漢語の「以(も)って」が変化したものということである。
 つまり、動詞に付属して意識的に物事を行う、特に強調することや語調を調える時に用いるというのである。
 例えば、他の言葉を上げるならば、「もてはやす」とか「もて余す」。「もて行く」「もて騒ぐ」「もて隠す」。なんかであった。
 次に「なす」とは、漢語で表すと「成す」であり、「為す」と表記し、それは行いや行為のことであり、成し遂げることや、仕上げるという意味となる。
 以上のことから、「もてなす」とは、1「とりなす、処置する」との行為。2「取り扱う、待遇する」ことから、3「歓待する、御馳走する」となり、更には4「面倒をみる、世話をする」ことでもあり、そのことから5「ふるまい」や「そぶりを見せる」ともなるのだ。
 やがて、これらの意味が総合的に解釈され中世以降になると、相手を「接待」する時の行為や、それを現わす心となってきたというのである。

 以上の、それぞれの分析を通して要約すると、「おもてなし」とは、相手に対しての丁寧なる振る舞いから遇(ぐう)することであり、それがお世話をし、面倒を見るということを更に強調し、特別なる自己の心の「はたらき」ということになるのである。

 この心や、行いや、はたらき掛けが、接客業やサービス業のお客様への接待、はたまた官公庁の住民への応対の基本的な心のあり様ともなり、昨年は、女優の堀北真希さんが主演となっての「県庁おもてなし課」の映画まで作製され全国的に放映された。
 今や「おもてなし」は、単なる流行語ということではなく、「日本人の心」の言葉であり、世界に通用するNIPPONの言葉でもあるのだ。
 それは、この言葉は、本質的に安らぎと癒しを与えてくれる心が内包されているからではないか。
  
―てなことで―
 この「おもてなし」の心の本質性を曹洞宗開祖、道元禅師の教えから展開してみることにする。 
「典座教訓(てんぞうきょうくん)」という禅師の著作がある。
 これは「典座(てんざ)」と称せられる、いわゆる私達の一般的な「台所」のことであり、そこで修業することへの肝要を説かれたものであった。
 道元禅師は、台所係を、単なる賄い係や食事係とは捉えていなかった。最も大事な修行であり、基本的修行であると位置付けられている。
―ということから―
 本山や地方の修行道場に安居(あんご)(入門修行)すると、大体は、いつかはこの典座寮に配属させられ、調理することを学ばせられる。 
 「調理」とは「生命(いのち)の理(ことわり)」を調えることであるからにして典座の職はまさに、「悟りの理(ことわり)」「真(まこと)の理(ことわり)」を調える修行なのであり、その調えられた修行から作られた食事によって、食する人をも調えさせることにあった。
 つまり、食事を作る人は調えられた自己であり、食する相手も調えられた人であり、そして食材食物自身も、そのことから調えられた「食品」となるのであった。
 故に禅宗における食事係は、大切な大切な仕事であり、修行であるからにして、その道は厳しかった。
 まさに「精進(しょうじん)精進(しょうじん)」の連続であり、決して手抜きや、いいかげんな調理は出来なかった。
 よく「精進料理」とは野菜主体の料理のことを指すが、実は禅宗寺院で作る修行者の料理のことを言うのである。

 このような台所係の教訓をまとめたのが、「典座教訓(てんぞうきょうくん)」であり、その中に、かくなる一文がある。
「事(こと)を作(な)し、務(つとめ)を作(な)すの時節(じせつ)は、喜心(きしん) 老心(ろうしん) 大心(だいしん)を保持(ほじ)すべきものなり」と…。
この「喜心(きしん) 老心(ろうしん) 大心(だいしん)」が、人々や相手に対しての事をなし、つとめをなす「おもてなし」の心なのではないだろうか。
 第一の「喜心」とは喜びの心であり、相手に喜んでもらえること、また人の喜びを自分の喜びとするものであり
 第二の「老心」とは慈しみの心、親が子を思うように、他の人を思う心である。老婆心と言われるほどに細かに気配りをする親切、丁寧なる思いやりの心のことである。
 最後の三つ目の「大心」は大いなる心で相手の心を受けとめ、こだわりや、偏(かたよ)りなく、空の如く、海の如くの心のことを言うのであった。
 この道元禅師の三つの心の教えは、まさに「おもてなしの心」にピッタリと合てはまるのである。
 喜びと思いやりと大きな心で相手をもてなす。これが「お・も・て・な・し」の本質的な意味ともなる。

 今号では、流行語大賞ともなった滝川クリステルさんの「おもてなし」を勝手に分析しかつ道元禅師まで登場させて禅宗的解釈をしてしまった。
 きっと、滝川さんもびっくりすることであろう。お許し下さいませ…。
  合掌  
  参考
  関西大学文学部
  国語国文学専修
  乾 善彦氏解説文
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