曹洞宗 魚籃山 常現寺 青森県八戸市
 『月刊ふぁみりぃ』連載中
  芝居版 「創作 ぼくざん物語」 パート十五
   第四幕 金英和尚 故郷へ帰るパートV
  
和尚さんのさわやか説法213
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

  「父、死す!!」
 嘉永二年(1849)金英和尚こと万吉、29才の時であった。万吉が故郷湊村から江戸へ向かったのが天保十年(1839)19オの時であり、駒込は吉祥寺旃檀林にて、漢籍仏書に顔をうずめるかのように没頭し、あるいは修行の中に更に修行を重ねるが如くに、只管(しかん)に打坐(たざ)しては「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」の参究に勤めていた。
 その後、人物を見込まれ23才にて、牛込は鳳林寺の第15世住職として晋住するまでになり、父母のもとを辞してからはすでに10年の歳月が流れていた。

 「父、死す」
 この故郷からの訃報を手にした時、急なる知らせにもかかわらず金英和尚は平然としていた。
 肝(きも)が座ってるということではない。修行僧としての感応力(かんのうりょく)あるいは道交力(どうこうりょく)が備わっているのであろうか。
 予知、予見があっていたのだ。
「やっぱり、あの時の胸騒ぎは、このことであったのだな!!」
「何かしら、おっ母さんの悲しげな声が聞こえ、悲痛な叫びが耳の奥に妙に響いていたぁ」
 「そして、お父っあんの笑顔が天から見守ってるかの如くに、何か感じさせられていた。」万吉は、その手紙を読みながら心の中で、そう呟いた。

 その親類からの書には父、長次郎さんの葬儀が終了し、湊村の墓所である「上ノ山墓地」に手厚く葬られたことが記されており、また母親なをさんの悲嘆の様子が書かれていた。
「お父っあん!!おっ母さん!!」
 万吉の父母への思いは故郷に馳せた。
―しかし―
 平成の現代のように新幹線に乗れば、三時間で着く時代ではない。
 この訃報だって、何日もかかって万吉のもとに届き、帰郷するにしても何日もかけて向かわなければならないのだ。
 帰郷への思いはつのり、父母を思う気持はせくが、鳳林寺を留守にすることの仕末やら、あるいは修学せる旃檀林のこと、師匠や近隣御寺院方に、その旨を伝え、一切を託してからではないと発(た)つこともままならない。

 万吉は走るが如くに足早に故郷に向かった。江戸を出発したのは訃報を受け取ってから、もう十数日が経過していた。
「お父っあぁ〜ん!! おっ母っさぁ〜ん!!」北の方角に叫んでいた。
「まっまっ万吉が帰って来るそうだ」「ほっほっ本当かい」
「そうかぁー。よかったなあー。」「万吉だば、親思いの親孝行な子どもだもん」
「駆けつけて来たかべぇー」
 湊村の皆なは、万吉からの「故郷へ帰る」の文を手に取り合っては喜んだ。
「なをさん!!よかったなぁー。」と、仏壇の前で座っている、なをさんに村の衆が声を掛けると、こう言った。
「万吉だば、帰ってきてはならねェー。」
かたくなに首を横に振った。
―この時にあって―
 湊村はもとより南部領域の村衆に「万吉、故郷に帰る」の報は知ることとなり、領内各寺院の和尚さん方も喜んだ。
「そうかゝ金英和尚が帰って来るんだな」「金英和尚は、若干、23才で、江戸のお寺で住職に就いたそうだ」
「今では、他に肩を並べる者がいないほどの勉強家であり、俊才だそうだ」「それはゝ。たいしたもんだ!!」
 それぞれが、それぞれに金英和尚、万吉の帰郷を待ち望んだ。
 万吉は、父を弔い、母を慰めたいとの一心だけで故郷に向かっているのに。
―しかし―
 万吉の父母を想う心とは別に、村人衆の「万吉、故郷に帰る」の期待は、日々エスカレートし、ボルテージは上がっていった。
 それは、こういう事だったのだ。
「万吉だば、八戸に帰って来たら、どっかのお寺の住職さんになればいいな」
「ほんだゝ。江戸のお寺を辞めて、故郷さ錦を飾ればいいんだよな」
「せば、江戸の名僧知識の教えを聞くこともできるし、お経も読んでもらえる。」
「そうだゝ。万吉だば、八戸の住職さんになればいいんだ!!」と、長次郎さんや、なをさんのことを、そっちのけで噂し合った。
 そういう噂は、自然と母なをさんの耳に入ってきた。
「万吉やぁー。何で帰ってくるんだ!!」
「お前が、帰ってきたとしても、ワシはこの家の敷居は一歩たりとも跨がせはしない!!」母なをさんは、ある決意を固めていた。
 それは、万吉のことを想うが故に、万吉の心を想うが故に…。万吉が幼き頃、母のことを考えて「一子出家すれば九族天に通ず」の意味を悟り、仏の道に入ったことを想うが故に…。
 まさに大いなる無辺の「母の子を想う心」であった。
 また、それゆえに子供である万吉も「子の母を想う心」が育まれていたのだ。

 曹洞宗開祖、大本山永平寺を開かれた道元禅師は「正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)」の中で子が親を想う「孝行」のことをこう説かれている。
 それは、出家者としての「孝行の教え」であった。
「示云(じにいわ)く 孝順(こうじゅん)は尤(もっと)も用(もち)いる所也。但し その孝順に在家出家(ざいけしゅっけ)の別あり 在家は孝経等の説を守りて 生(しょう)をつかえ、死(し)につかふること世人皆知(せじんみなしれ)り 出家は恩を捨て無為(むい)に入りて 無為の家の作法は 恩を一人に限らず 一切衆生斉(いっさいしゅうじょうひと)しく父母の恩の如く深しと思うて 作(な)す所の善根(ぜんこん)を法界(ほっかい)にめぐらす。… 日々の行道時々(ぎょうどうじじ)の参学 只(ただ) 仏道に随順(ずいじゅん)しもてゆかば 其(そ)れ真実(まこと)の孝道とする也(なり)」と説かれている。
 ここにあるように、出家と在俗との「孝行のあり方」は、まるっきり逆なのである。
 在俗の者は、親の生きている時も、死してからも孝養をつくすものであるが、出家者たる者は、その父母への恩を全ての衆生の為にめぐらし 仏道に精進することであり、これが真実の孝行の道なのだと示される。
 まさに「一子出家すれば九族天に通ず」の九族とは両親親類とかの捲属(けんぞく)を指すのではなく、全ての人々ということなのである。
 一人の出家者が一切の衆生を天に通じ、済度するということである。
 このことを母は、仏教の事、あるいは道元禅師の教えのことを知らずとも、子である万吉に「真実の出家者」の姿を身を以って教えていたのであった。
 お釈迦様を、この世に出現させる為にマ一ヤ夫人が母であられたように、仏天が穆山たる万吉を出現させる為に、母として、なをさんをつかわせたのであるかもしれない。
 次号にては、穆山こと金英和尚が、母と感動の再会をし、厳しい鉄槌を受けるのだ。
 さて、どのような展開になることやら…。
 乞う御期待を。
  合掌
 
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