『天は自ら助くる者を助く』
されども 他を助くる者はさらに助く

和尚さんのさわやか説法190
平成19年5月号 曹洞宗布教師
常現寺住職 高山元延

「されどもシリーズ第四弾!!」
 今回は西洋の格言だ。
 本年正月号からの、第一弾、第二弾は日本の格言。第三弾は古代中国の格言ということで、和洋を問わず、古今も東西も問わず、勝手に私の自己感覚で「されども」と切りまくっている。
 それも素晴しい意味ある格言をだ。
 今回のテーマは表題の如く「天は自ら助来る者を助く」である。
 この格言に対して、私は、今でも切なくも苦しい思い出がよみがえる。
 それは、中学、高校生の試験週間に限ってのことであった。
 試験勉強の時、あるいは試験問題を目の前にした時、なすすべもなくお手上げ状態の時、この格言を口にしては、「天井」を見上げていた。
「天は自ら助くる者を助けないのかぁ~!!」と、(大笑(^O^))
 私は、その当時、この格言を、このような意味に理解していた。
「天は、神は、自ら助けを求める者を助けてくれる」「助けてくれるにちがいない」と…
 実は、この解釈は、まことに自分勝手な、御都合よき解釈であった。
 自分の頭の悪さと遊んでばかりで、ろくすっぽ勉強もせずに一夜漬けでの試験勉強しかしていないくせに「助けを求める者を助けないのかぁ~!!」なんて、天に向かって叫んだところで助けてくれないのも当り前のことである。
 お天道様だって、神様だって先刻御承知である。
 勉強もせず、努力もしない者を「試験」の時だけ助けてはくれないのだ。勿論!!解答を教えてくれるはずもない。
 神様は、きっとこう言って私を突き離すにちがいない。
「試験問題の『紙様
(かみさま)』を前にした時だけ私の名前を呼ぶんじゃない!!」
「私を頼ることなく、自分の勉強と努力に頼りなさい!!」と…。
 嗚呼ゝ。
 私は、その当時から、神様のなげきとその声が聞こえていないのであり、今でも同じことを繰り返している。(o´_`o)・・・(涙)
―実は―
 あの格言の意味するところは、私のような神様をあてにして「天は助けを求める者を助けてくれる」という意味ではなくして、本来は、「神は、他人の助けをあてにせず、自分自身で努力する者を助ける」ということであって、「誰にも頼らないで、自らが努力をしている人は、必ず報われる」という意味であったのだ。

 この格言は、イギリスの作家スマイルズ(1812~1904)が『セルフ・ヘルプ(自助論)』の中で説いた言葉であり、日本では明治四年(1871)、当時の思想家である中村正直
(まさなお)という方が『西国立志編(さいごくりっしんへん)』として翻訳して出版し、多くの人々に影響を与えたという。
 これには、国家が自立するためには、国民一人ひとりが、国の自立の認識に立脚して、お互いに努力し、助け合うことの重要性を説いた本であり、偉人数百人の生き方を取り上げて、わかりやすく書かれたものであった。
―しかし―
 私は、またあえて、この格言に「されども」と付記して、「他を助くる者は さらに助く」と言いたいのだ。
 その真意とするところは、天は、神は、あるいは仏は、「自己利益」だけを目的として、自分だけが助かりたいとする自己中心の努力をする者に対しては、「いざ」という時には助けてはくれないと思うからである。
 いわゆる現代用語でいう「ジコチュー」の努力には、天は報いてくれないのである。

 日本曹洞宗を開かれた道元禅師様は、こう説かれている。
「菩提心
(ぼだいしん)を発(おこ)すというは、己(おの)れ未(いま)だ度(わた)らざる前(さき)に一切衆生(いっさいしゅじょう)を度(わた)さんと発願(ほつがん)し営(いとな)むなり、設(たと)ひ在家(ざいけ)にもあれ、設(たと)ひ出家(しゅっけ)にもあれ… 早(はや)く自未得度先度他(じみとくどせんどた)の心を発(おこ)すべし。」と、
 この意味するところは、菩提心
(ぼだいしん)つまり菩提薩埵(ぼだいさった)の心、菩薩(ぼさつ)の心を起こすというのは、自分が救われようとする心と努力を重ねることではなく、他の人の為に慈悲(じひ)の心で、相手を救ってあげたい、救わずにはいられないという心と行動ををするということなのであった。
 自分の修行力によって、自らが仏(悟り)と成ることが出来るとしても、その功徳
(くどく)を他の人にめぐらしてもって他の人を救い、他の人の幸せの為につくそうとすることが大切であると説かれる。
 そのことに目覚め、気づいた時、「仏」はその人を仏として救ってくれるのである。
「ジコチュー」の修行は、我執
(がしゅう)、我見(がけん)の修行であって、それから離れる「悟りの修行」は他の人に「つくす修行」によって実現するのである。
 それは、在家であろうが、出家であろうが誰にも出来ることであるから、そのような「他を救う」修行をせよと、道元禅師様は私達に教えられるのであった。
―その心が成就した時、私達は、お釈迦様に、道元禅師様に救われるのであり、助けられるのではないか。
 いや、きっと助けてくれるのだ。
―だから―
 私は、あえて「されども 天は 他を助くる者を さらに助く」と述べてみたかったのである。
 天は、神は、仏は、誰でも助けたいし、救って上げたいと想っているにちがいない。
 しかし、他の人を顧みない「ジコチュー」の幸せだけを願い努力する者は、助けてはくれない。他の人の幸せを願い、それに努力し修行する者を助けてくれるのであった。
―それが―
 本来の「天は自ら助くる者を助く」の意味なのではなかろうか。
 今回もまた、私は、素晴らしい格言を「ジコチュー」的解釈で、「されども」と説法してしまった。きっと、私は、天からは、見捨てられ、助けられることはないだろう。
トホッホッホ(´o`ヽ)

合掌

 

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