井の中の蛙(かわず) 大海を知らず
されども 井の深さを知る

和尚さんのさわやか説法188
平成19年2月号 曹洞宗布教師
常現寺住職 高山元延

 先月号で、私は「初心忘るべからず されども忘れ去るべし」とのテーマで、私の考えるところの「初心のあり方」について展開した。
 この「初心忘るべからず」という格言の出典は、室町時代初期の能役者の世阿弥
(ぜあみ)が著した『花鏡(はなかがみ)』という能楽の心がまえを書いた中の一つである。
 当時は、田植えの時に豊作を祈って踊る田楽
(でんがく)や、こっけいなものまね芸の猿楽(さるがく)が流行し田楽座や猿楽座という一座がたくさん現われたのであった。
 世阿弥の父、観阿弥
(かんあみ)は、その田楽や猿楽などの良いところを取り入れて礎を築き能楽師として活躍された。子の世阿弥は幼い頃より一座に加わり、その才能を発揮し、やがて将軍足利義満の庇護を受けて能楽は、さらに発展したのであった。
 
 しかし、観阿弥も世阿弥も決しておごることなく、能楽の道に精進し究めていった。
 その時の「自己の心」を戒
(いまし)める教えが「初心忘るべからず」とのことであったというのだ。
―しかしながら―
 私は「されども」といい、「忘れ去るべし」と言った。
 それは、観阿弥も世阿弥も能楽の道の中にありて、その初心にとどまらず、自己の芸術を向上させ、成長させていく上で、「初心も成長」させていったにちがいない。と思うからである。
 実は、この「初心忘るべからず されども忘れ去るべし」の問題提起は、多くの方々からの反響があり、色々なところで話をさせていただく機会があった。
 
―そこで―
 今月号も「されどもシリーズ」ということで、またまた格言を登場させて、私の勝手なる切り口で問題提起してみたい。
―それは―標題の如く
「井の中の蛙
(かわず)、大海を知らず、されども井の深さを知る」である。

 今から思い返すに、私が仏教系(曹洞宗)の大学である駒沢大学に在学中のことである。勉学もさることながら、毎日が空腹の苦(喰う)学生であった。
 東京の荒川区のとあるお寺で、夏のお盆(東京は七月盆)とか、日曜日に、檀家さんの御先祖供養が忙しいので学生アルバイトを募集しているというのである。
 そこで、お寺のお手伝いをしながらの実務研修と、私にとっては実益(こちらが重要であった?)を兼ねて、そのお寺さんを訪ねた。
 そこは、私と同じような喰う学生が何人もおり、御飯はいつでも好きなだけ食べてもよいというところであるからにして、まことに居心地がよく、居候を決め込む輩
(やから)もいた。(そのうちに私も、その中の一人になったが)
 そのお寺の御住職は一風も二風も変わった方で工学博士の称号を持つ、まさに和尚さんらしくない和尚であった。
 お寺の中は御住職の発明品やら機械が、ところせましと置かれ、「自動墨
(すみ)(す)り器」「自動塔婆書き器」あるいは本堂に飾った花がしおれないようにする「自動清水(せいすい)注入器」とかはたまた「檀家参り自動検索機」等という「自動」だらけであった。極めつけは、大型のコンピューター(40年前のパソコン)が置いてあり、夜ともなれば、それらの講義を御住職から聞かされた。
 私にとってはそれが、面白くもあり苦痛でもあった。それは、お寺の実務研修というより数式、数学、工学の講義を聞かされ、色々な物事の思考方法を教えられ、まさに「ナショナル」とか「東芝」の合宿研修のような気がしたからである。
 それにもまして、ユニークなのが御住職の奥様であった。東京下町の商家の出身で、べらんめぇ口調をまくしたて、私達学生僧侶の面倒を見ては、励ましたり、怒りながらも、いつも笑いの堪えない奥様であり、私達は「おふくろ」と呼んで親っていた。
 彼女の、いつもの口癖は
「アンタ達は、つぶしがきかない」
「和尚さんしか能がない」
「うちの住職のようにあらゆる物事に対して何でもやらなければいけない」
というものであった。
 奥様は私達のことを思いやっての言葉ではあることはわかっている。確かに和尚としての道を歩むにあたり、色々な経験をし、つぶしのきく人間となれ!!ということであろう。
―ところが―
 私は、その日奥様に反発した。
「いいじゃないか!!つぶしがきかなくたって!!」
「つぶしがきかない和尚さんだからこそ、その道しか能がないから本物の和尚になれるんだよ!!」と私は抵抗した。
―そしたらである―
 奥様は「だから、井の中の蛙って言うんだよ!!」
「高山くん!!あんたは井の中の蛙で大海を知らないんだよ。知ろうともしないんじゃない!!」と逆襲してきた。
 その時、私は、またまたこう言って更に抵抗した。
「おふくろ!!井の中の蛙はなぁ!!大海を知らずとも、井の中の深さを知ってるんだよ!!」
 私は私の思いがけない言葉に自分自身びっくりしてしまった。奥様も絶句してしまい、目をまん丸くしたかと思うと、「ワッハッハ」と笑いころげた。私もつられて一緒に笑い出してしまった。

 私は、あの時何を言いたかったのだろうか。単に反発するばかりではなく、「和尚として仏の道に精進し求めていくあり方」について言いたかったのだ。
「つぶしがきかなくていいのだ」
「つぶしがきくような和尚でないほうがいいのだ」と自分自身に言い聞かせたかったにちがいない。
 確かに、「井の中の蛙 大海を知らず」の格言の意味するところは「世間知らずで、見識の狭いこと」を言うものではあるが、私は「されども」と言いたいのである。
「大海を知らず」とも自己の置かれている立場、その道の深さを、そして「自己の井戸」の深さをもっと知らなければならないのだ。それを知らずして大海を望み、知ろうとしても、かえってその大海の中で溺れてしまうのではないか。
「自己本道中」にあることを知り、その深さを知ることによって自己の「井戸」の間口も広がるようにも思えるのだ。
 私は、お釈迦様も、古来のあらゆる和尚様方も、そして観阿弥、世阿弥も、その井戸の深さを知り、「自己の井戸」の広さを自己自身で無限に広げ「大海」としてしまっていたのではないだろうか。
そう思うのである。

合掌


    


 

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